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延命治療

延命治療

「祖母の逝き方」にも書きましたが、私自身も祖母の自然死を見守り続けた一人です。

人伝に老衰について聞いたことはありましたが、つい最近まで意識があり、食事をしていた祖母が、何も飲まず、食べなくなる姿を目の当たりにすると、「もう少し生きていて欲しい」という願望がこみ上げてきます。

脈診をして、鍼灸を施しますが、脈に変化がありません。

このことは、「胃の気」が消失していることを示しています。

それでも自分の診断が未熟だから脈の変化が捉えられないだけなんだと、最後まで「胃の気」を上げる治療を続けました。

飲まず食わずの状態で5日が過ぎた頃、「点滴」の誘惑に襲われます。

「外部から栄養を注入すれば、もう少し生きることができる。」

その間に鍼灸をすればもう一度目開けてくれるような気がして、担当医に点滴を申し出ることをなかなか諦めきれませんでした。

 

おそらく一般の方も、身内の方がこの状態になると、同じ悩みに直面することでしょう。

ご家族が入院の場合、医師は胃瘻を薦めたり、点滴による栄養補給を薦めたりします。

病院の医療関係者の多くは、胃瘻や鼻チューブ、中心静脈からの栄養補給を医学的治療とは考えず、単なる食事形態のひとつであると思い込んでいます。

彼らが標準的なケアとしてそれらを捉えているほどですから、一般の素人の方が疑問を持つことはありえないことです。

むしろ「少しでも長く生きて欲しい」と願えば願うほど、外部からの栄養補給を受け入れることになります。

 

胃瘻や点滴による外部からの栄養補給は、単なる「延命措置」となることがあります。

いのちの火が消えかかっている状態、つまり胃の気が絶えた段階では、すでに身体はそれを吸収して、全身にエネルギーとして流布する能力はありません。

身体は必要がないので、要求することがないのです。

それを無理やり外部から押し込むことになるので、かなりの苦痛と負担を強いることになります。

すでに身体が受けつけなくなっている状態ですから、与える水分が多ければ身体がむくみます。

そのむくみを取り除くために、「利尿剤」を用いる。

利尿剤は、少なからず身体に負担をかける薬ですので、さらに生命力をご本人から奪うことになります。

しかも気道の分泌液の量が増加することで、ゼイゼイと喘ぐような呼吸になり、何度もチューブを口から喉へ突っ込んで、痰を吸引して除去する必要があります。

チューブを入れられることは、嚥下反射を引き起こし、とても苦しい思いをします。

さらに分泌液によって、誤飲性肺炎を起こす危険性が高まります。

日本人の死亡原因の上位に、「肺炎」が挙がるようになったのは、このことと無関係ではありません。

アメリカで問題視されている「医原病」が、日本でもすでに蔓延していることの証です。

 

「延命治療」として、外部からの栄養補給を選択したくなるのは、家族側の願望によるところと、医療者側の誤った使命感によるところがあります。

家族は、自然死に向かう姿を見ると、餓死させてはいけないと思いますし、見殺しにできないという罪の意識を持つこともあります。

「どんな姿でもいいから生きていて欲しい」と望む人も居られるかも知れません。

しかし大切な方が苦しむ姿を見つづけることも、後々、とても辛い記憶として残ることを知って欲しいと思います。

無理やり生かされるということは、ご本人にとっては本当に苦しいことなのです。

 

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