- 小島 秀輝
三焦 名ありて形なし
古典の「中蔵経」には、「それは全身において、体を灌漑し、内外を和調し、左右を栄養し、上下を宣導する、このうえなく大きいものである」
古典の「類経」には、「三焦は…確かに一腑有り、蓋し即ち臓腑の外にして軀体の内、諸の臓を包みつなねる一腔の大腑なり。故に中瀆という孤の名があり、大腑の形がある。」
このように、さまざまな古典の中に、「三焦」についての記述があります。
書物の年代はいろいろですが、「名ありて形なし」と呼ばれた腑の考え方が伝わります。
東洋医学では、気・血・水という三つの物質があります。
これらは、生命活動によって産生される一方で、生命活動を維持するための基礎物質でもあります。
気・血・水は、生体において中心的な役割を果たしています。
「気一元論」ということから「万物は気が基本」となっているのですが、気が水となったり、血になったり、また水や血が気になったりと相互に入れ替わることで、生命活動を持続しています。
三焦は、その中の水の道を司る役割を担い、身体の水分の質や量をコントロールしている腑ということになります。
「名ありて形なし」とは、その腑の広がりがあまりに大きいので、形に表わすことが難しいからであることが想像できます。
肺の中にも膜があり、肺そのものも膜によって胸部内に収納されています。
内臓が下垂しないように腹腔に収まっているのも、膜のおかげです。
小腸や大腸が順調に働くためにも膜が重要で、内臓が乾燥することを防ぎ、適度な水分で臓腑を潤すことで体温調整しています。
筋肉にも膜があり、多くの筋繊維を束ねることで、力を発揮しやすくしています。
全身に張りめぐらされている膜のことを「三焦」としているのであれば、その形を表現できないのもしかたありません。
「名ありて形なし」と呼ばれる三焦
少し興味をもっていただけたでしょうか。
水道を司る三焦の働きは多岐にわたるため、その詳しい役割はまたの機会で。
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