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  • 小島 秀輝

鬼の霍乱 弐 「糖尿病」


平安時代、摂政、太政大臣を歴任して、この世の栄華を極めた藤原道長は、糖尿病で亡くなりました。

記録に残っている中では日本最古の糖尿病患者だそうです。

そのため、1994年、第十五回国際糖尿病会議が日本で開催された折、道長の肖像画を描いた記念切手が発行されました。

糖尿病は代表的な生活習慣病で、近年、患者さんの急激な増加が問題視されています。

厚生労働相が実施する国民健康・栄養調査によると、2016年の段階で糖尿病が疑われる成人が1000万人を超えています。

内臓脂肪の蓄積と運動不足が発症に関係することから、かつては「ぜいたく病」とも呼ばれたこともあります。

遺伝的ななりやすさもあり、複雑な過程をへて発病する糖尿病ですが、平安時代の貴族の間でこの病気が多かったことがわかっています。


平安時代、食事に「格」ができ、貴族たちは庶民的な食材には箸をつけませんでした。

お膳にならぶ料理を食べる順番が定まり、食事の作法が生まれたのもこの時代です。

貴族の食事は贅の限りを尽くすようになり、盛り合わせの美しさや品数を重視するあまり、栄養のバランスは後回しになりました。

さらに貴族の間で信仰が深まった仏教思想にも関係があります。

仏教では殺生を禁ずることから、貴族は肉食禁止令を厳守し、動物性たんぱく質と脂質の摂取量が極端に減少したのです。

奈良時代の後半に、造酒司(さけのつかさ)という役所ができました。

お酒は朝廷のためのものであって、庶民は冠婚葬祭などの特別な時しか飲めませんでした。

貴族の過度の飲酒、とくに糖質分の多い濁酒の多飲にも一因があったと思われます。

そしてもう一つ、病気の原因と考えられるのがスイーツブームです。

当時の貴族たちは、大陸から伝わった「蘇」という食べ物をもてはやします。

蘇は牛乳を根気よく煮詰めて作るため、手間のかかる貴重品でした。

牛乳自体、極めて高価で庶民には手の届くものではなかったことを考えると、蘇の価値がどれほど希少だったかわかります。

蘇は現代のキャラメルのようなもので、100gで400㎉以上もあります。

道長は蘇に蜂蜜をかけて食べていたようで、太政大臣就任の宴の際、蘇と甘栗を合わせた菓子を宮中から賜っています。


寛仁二年(1018)四月二十日の「小右記」に


御胸病発動し、重く悩み苦しみ給う、声太だ高く叫ぶが如し


53歳の道長は、心悸亢進や呼吸困難、心臓疼痛や苦悶感に苦しんでいる姿を想像します。

糖尿病で衰弱しているところに、権力者特有の心身過労も重なり、自律神経失調にも苦しんだのではないでしょうか。

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