鬼の霍乱 漆 oni no kakuran
「鬼に金棒」ということわざがあります。
強靭な肉体を持つ鬼が鋼鉄の金棒を持つことで、より一層強くなることを意味します。
プラスとプラスの掛け合わせですから、最強ともいえる状態へと変貌します。
このように、「鬼」には、強靭や頑丈というようなイメージがあります。
その影響でしょうか、「鬼の霍乱」ということわざも、普段、鬼のように丈夫な人が突然に病気になったときに、おどろきを表現するために使われます。
頑丈そうに見えて、意外に「人並み」だったのか、という皮肉さも含まれているように思います。
この場合、プラスとマイナスの掛け合わせとなり、マイナスのイメージが強くなります。
さて「霍乱」ですが、現代ではあまり聞くことのない病名です。
ある書籍によると、霍乱とは、漢方の言葉で「日射病」のこと、とありました。
加えて、暑い盛りに吐いたり、下したりする病気のことも含む。
今でいう、食中毒、赤痢、大腸カタル、腸チフス、コレラなど、夏の季節に起こりやすい急性の病気の総称したもの。
本当にそうでしょうか。
シリーズ「鬼の霍乱」では、藤原道長が罹患した病を年齢ごとにご紹介してきました。
そちらを見直してもらうと気づいていただけるのですが、平安時代、霍乱と痢病をきちんと区別しています。
道長の病を見ると、30歳のころに痢病、39歳に霍乱とあることから、病気を発症したときの症状に何らかの違いがあって、当時の人たちはその違いを区別していたことになります。
そもそも日射病のことを霍乱とすることも東洋医学の立場でいうと、違うように思います。
実は、東洋医学の書籍、「傷寒論」の中に、「弁厥陰病霍乱篇」があります。
傷寒論という書籍は、後漢の時代(200年頃)の中国で張仲景によって書かれました。
日本においては、大宝律令の医疾令の中に「痢病」と並んで「傷寒」という病名があります。
張仲景先生が活躍した時代、後漢の中国ではウイルス性と思われる伝染病が猛威を振るい、多くの民が命を落としました。
地方の長官だった張仲景先生は、医療の道に身命をなげうつ覚悟をし、後世まで読み継がれることになる「傷寒論」を書きあげました。
傷寒論は、傷寒という外感熱病に関する治療法が記載された医書です。
東洋医学では当時から、風、寒、湿、熱、暑、燥という六種類の邪気が自然界に存在して、それらが心身の元気を損ねている隙に入り込んで、病気を引き起こすと考えていました。
これらを「六疾」と呼んでおり、感染することを「外感する」と呼んでいます。
新型コロナウイルスが世界中へと伝染し、現代医学をもってしても、その猛威に苦しめられたことは記憶に新しいことです。
電子顕微鏡がなく、ミクロの生物の存在を目視できなかった時代に、病原体に重点をおくのではなく、病態となる人の症状の変化を詳しく観察することで、六種類の病態の概念を新たに作り出しました。
この病態を太陽、陽明、少陽、太陰、少陰、厥陰という六経として、六淫の邪気が体表から深部へと伝わっていく様子の中に規律を明らかにし、それぞれの病態に最適な治療法を解き明かしたのでした。
現代科学を用いた診断方法がない時代から今日まで、人の病態を診て的確な診断と治療法を確立した書物としてその価値は高く評価されています。
そんな傷寒論の中に霍乱の病名があり、その診断と治療法が厥陰病の中の特例として取り上げられているところに注目です。
厥陰病は、傷寒の中でも病位が最も深く、命の危険性が高い状態です。
39歳の道長が霍乱を克服できたこと、それは当時の日本の医療レベルの高さをあらわしています。
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