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  • 小島 秀輝

鬼の霍乱 肆 痢病(りびょう)


晩年、糖尿病を患った藤原道長ですが、紫式部の「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルとも言われることから、青年時代は健康な美丈夫だったと思われます。

栄華を極めた道長の生涯で患った病を見ることで、平安時代の病の特徴がうかがえます。


道長は30歳のころ、「咳病」や「風病」といわれた風邪や頭痛に時折かかり、「痢病」といわれた腹痛を起こすことも珍しくなかったようです。

漢方用語では、痢病は「痢疾(りしつ)」と呼ばれていて、「赤痢」や「大腸カタル」などの急性腸道疾患のことです。

風邪や頭痛は、現代を生きる私たちにとっても珍しい病ではありませんが、痢疾のような急性腸炎は当時の病の特徴のひとつと言えます。


厚生労働省の発表では、2023年の平均寿命は、男性81.09年、女性87.14年とあります。

平安時代の平均寿命ではないのですが、江戸時代後期の農村の平均寿命が男性28.7年、女性28.6年という報告が残っています。

これは、飛騨のある寺院に残された過去帳の衛生統計学的調査によって明らかになったものです。(須田圭三「飛騨O寺院過去帳の研究)

 

現代と比べて、これほどまでに寿命が低い理由は、乳幼児死亡率の異常な高さにあります。

当時の乳幼児の死亡は、全死亡の70~75%を占めていました。

この世に生を受けてから成人できる確率は、実に2割程度ということになります。

さらに、過去帳に記された死因を見てみると、第一位は小児病、第二位に痘瘡、第三位が痢病でした。

そのうち、小児病と痘瘡の69%が乳幼児、痢病の66%が乳幼児であることが分かっています。

当時は、生まれても、1年から2年、ないし4年から5年のうちに死亡することが日常的であり、人別帳(戸籍簿)には乳幼児の記載がほとんどなかったほどです。

江戸時代の過去帳から想像して、痢病を何度も患いながら30歳まで生きることは、平安時代の人々にとってもかなり難しいことだったことがうかがえます。


今ではあまり聞かない赤痢ですが、赤痢アメーバの経口感染が原因で、大腸に壊死性潰瘍性大腸炎が生じます。

現代の日本人では、熱帯や亜熱帯への海外渡航中に感染することが多いようです。

このことから考えると、当時の日本はかなり温暖だったのかもしれません。

「赤痢アメーバ症」の主な症状は、大便の回数が多くなりますが、その割に量は少なく、腹痛があり、裏急後重して、粘液および膿血様の大便を下しだします。

裏急後重とは、頻繁に便意を催し、その際に腸内の気が促迫し、排便時に肛門部分に急迫するような疼痛が生じて苦しむ状態のことです。

一方、大腸カタルは、大腸にカタル性の炎症、つまり大腸の粘膜に滲出性の炎症が生じ、大腸から粘液の分泌が亢進することです。

湿気や熱気の疫毒を受けたときや、飲食において生ものや冷たいもので腸内環境のバランスを崩したときに大腸カタルを起こします。


上水道、下水道といった環境整備が整っていなかった時代、衛生環境の問題が平均寿命に大きな問題となっていた可能性があります。

さらに病原菌への知識の欠乏、食材や食品の衛生管理も関係していたことでしょう。


いずれにしろ、死亡率の高い幼少期を乗り越え、30歳を迎えた道長は、それだけで健康な成人だったということになります。

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