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ナポレオンの生涯と病気 (後編)


ナポレオンが率いるフランス軍は、イギリス・スウェーデンを除くヨーロッパ全土を制圧し、イタリア・ドイツ・ポーランドをフランス帝国の属国に、オーストリア・プロイセンを従属的な同盟国とすることに成功していきます。

そして、遂には戦争によって国土を広げることに大成功を治め、この頃にナポレオンは人生の絶頂期を迎えます。

ところが、ナポレオンが築き上げた帝国にも衰退の影が忍び寄るようになってきます。

内政不安と度重なる戦争によって多くの国民が犠牲になり、国内外でナポレオンに対する風当たりは厳しくなっていきました。

そんな頃、ロシアと戦争をする前あたりから、彼の体格に著しい変化が現れたのです。

瘦せ型だった彼は、急激に太りだし、脂がのり、体重が増加し、肌の色が白くなり、頬もふっくらして、女性のようにふくよかな体型へと変貌してしまいました。

するとどうしたことか、見かけにきびきびしたところがなくなり、次第に頻繁に倦怠感を覚え、それと共に彼独特の機敏な行動性が弱まって物ぐさになり、無感動になり、大切な時期に優柔不断を示すようになっていきました。

戦場では、今までの如く陣頭指揮を行わず、1812年9月、モスクワ入場前のボロジノ戦において、戦いが高潮となった際、ナポレオンは肩を落とし、首を垂れて、野戦用の椅子に腰をかけて、ただ戦況を聴くだけだったようです。

戦局を決すべき重大時機にも、ぐずぐずして幕僚たちを怪しませています。

さらに翌年10月、フランスの運命を決するライプチヒの戦いでは、大切な時に居眠りをし、橋が爆破された大音響で初めて目を開けたそうです。

このように晩年の彼には、若かりし時の「余の辞書に不可能の文字はない」と豪語した面影はもはやありませんでした。

ナポレオンに関する後世の研究で、彼の体格の変化と病について明らかになってきたことがあります。

若かりし時の過労と、度重なる戦争のストレスによって、脳下垂体を害し、副腎機能が低下、心身の無力を引き起こすようになっていたと推察されています。

彼の死因には諸説あるようですが、1817年以降、明らかに体調を崩していたことが判明してます。

解剖所見では、胃潰瘍により胃に穴があいていたことが確認されており、初期の癌を患っていたことがわかっています。

激動を駆け抜けた英雄・ナポレオンに欠けていたこと、それはコンディションという身体を気遣う心だったのではないでしょうか。