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涙と汗


ヒポクラテスアリストテレスも、「汗と涙には冷たいものと温かいものがある」ということに注目していたようです。 ヒポクラテスは、「病気は余剰物が原因である」としています。 そしてアリストテレスは次のように考えていました。 「食事はその量を制限し、一方で身体を使う量を増加したした方が健康的なのはなぜであろうか。

あるいはそれは、病気になる原因が余剰物の量にあるためだろうか。

ところで、余剰物の量の増加は、食物の量が過超であるか、または、労働が不足している場合に生じるのである。」 二人の観察や考えによれば、「冷たい涙も冷たい汗も、余剰物が多量で、内部の熱がこれをこなすことができない」からとし、この余剰物の増加は食物の過超と労働不足に起因していることになります。 これに対して、食物と労働が適度で、余剰物が少量であれば、熱が制御して、涙も汗も温かく、病気にならないとしています。 この考え方は、日本で江戸時代に書かれた「養生訓」とどことなく似ている気がします。 さて、ここで石川啄木の詩に戻れば、涙は涙腺からの分泌液であります。 涙腺は交感神経と顔面神経の支配を受けていることが科学的に判明しています。 しかしながら、「悲しいときに多量の涙がなぜ分泌されるのか」という問いかけの理由は、十分にわかっていないそうです。 涙の分泌量は、老若男女を比較すれば、老人より若い人、男性よりも女性の方が多いといわれています。 「流れる涙や汗を、温かいと感じるのか、それとも、冷たいと感じるのか?」 この問いかけをさらに、「食べすぎや労働不足の判断基準に用いることができのかどうか?」 ヒポクラテスやアリストテレスの意思を「東洋医学の弁証」に取り入れられないかと思わず興味を持ちました。

それにしても古代ギリシャにおいて、「涙や汗の温度を病の性質を分析するために活用していた」ことは驚きであり、人の生活と病気の関係性をよく観察していたことを連想させてくれる内容でした。 古代ギリシャの医者と哲学者によるこれらの思想が、18世紀の西洋医学まで影響を与えていたそうです。

最近の医療は、「目に見えること」にばかり気を取られて、「目に見えないこと」にあまりにも気を配らなくなっていないでしょうか。

「目に見えないこと」を理解することが、医療に求められていると考えています。