因循姑息

今年の干支は乙巳(いっし)です。
干支は、「時の機運」を表します。
乙巳の機運を計るには、順序としては昨年の干支から説明する必要があります。
去年の干支は甲辰。
干の甲は、今まで寒さのために殻をかぶっていた草木の芽が、その殻を破って頭を出したという象形文字です。
あるがままで言うと、春になって草木が殻を破って芽を出すという自然現象のこと。
それをシンボライズして人の活動に置き換えると、「旧体制の殻を破って想像を伸ばせ」という意味になります。
支の辰は、「震」と同じ意味で、易の六十四卦「震為雷」、即ち「雷」の卦を表します。
これは非常に騒がしい動揺があることを意味し、そのわりにはもう一つ実がない。
まかり間違えば、思いがけない変動・災禍を生ずることを予感させます。
干支として二つが組み合わさると、旧体制を脱して創造の新しい歩を進めるが、寒さが強くて抵抗が多いため、思うように伸びることができない。
いい気になると、とんだ失敗をして、禍を蒙ることになる危険が潜んでいる。
それゆえ、気を引き締めて進んでゆかなければならぬ、という意味になります。
それを引き継いだ今年の乙巳は、甲辰で出た芽が、外界の抵抗の強さにさらされて、真っ直ぐに伸びずに屈曲している状態です。
干の乙は、草木の芽が曲がりくねっている象形文字になります。
新しい改革創造の歩を進めるけれど、まだまだ外の抵抗力が強いので、いかなる抵抗にあっても、どんな紆余曲折を経ても、それを進めてゆかなければならないということです。
支の巳は、動物の象形文字。
今まで冬眠をしていた蛇が春になって、ぼつぼつ冬眠生活を終えて地表に這い出す形です。
新しい地上生活をするということで、従来の因習的生活に終わりを告げるという意味になります。
その意味では、「已む(やむ)」に等しいことになります。
そこで乙巳の意義をまとめますと、いかに外界の抵抗力が強くても、それに屈せずに、弾力的に、とにかく在来の因習生活にけりをつけて、雄々しくやっていくという意味を表します。
一回り遡って前の乙巳の年は昭和40年(1965年)
日本では、第一次佐藤栄作内閣のもと、戦後初めての赤字国債発行を補正予算で取り決めました。
発行時は一年限りで認めたのですが、1975年以降、1990年から1993年度を除いて、ほぼ毎年度、特例法の制定と赤字国債の発行が繰り替えされています。
韓国との間には、日韓基本条約が締結し、日韓両国の国交が正常化しました。
さらに遡ること60年前の明治三十八年(1905年)、日本は韓国に統監府を設置して、伊藤博文を就任し、日韓協定を締結しました。
韓国では乙巳条約とも呼ばれていて、日韓基本条約に至るまでの日韓会談がどれほど難航し、両国政府が苦心したのか、想像に難くありません。
慶長十年(1605年)、徳川秀忠が二代将軍となり、徳川政権に新しい体制が始まります。
家康が征夷大将軍となって天下の体制にけりをつけた一方で、いろいろと議論が残る中での決行でした。
文治元年(1185年)、源頼朝が屋島、壇ノ浦で平家を滅ぼし、全国に守護・地頭を設置し、鎌倉幕府の政治体制を確立したのも乙巳です。
そして大化の改新(乙巳の変)は645年、もちろん乙巳の年であり、この年のもう一つの重大事件として、百済から渡来した仏像を物部守屋が堀江に投げ込んで、新しい問題を引き起こす原因を開いてしまったことがあります。
このような歴史の事例を見てみても、乙巳は容易ならざる年であることを暗示しています。
安岡正篤氏は、「従来の何もせぬ主義という因循姑息にけりをつけ、いかなる抵抗とも闘って、思い切って革新の歩を進めてゆかねばならない」と述べています。
因循姑息(いんじゅんこそく)とは、古いしきたりや今までのやり方にこだわるために、一時しのぎ終始することや、消極的で決断力に乏しいことです。
姑息は、「卑怯」という意味で使われますが、本来は「一時的」という意味があります。
乙巳の機運を調べてみましたが、干支の本義や易の本質に触れてもらえたでしょうか。
2025年の乙巳、しっかりと歩んでいきましょう。
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