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  • 小島 秀輝

養生訓から学ぶ「気」の思想


11月27日(日曜日)の午前10時から2時間の講義を行います。


会場は、奈良のPOWER OF FOODさんの店内をお借りします。


POWER OF FOOD店主 吉田奈麻さんの協賛により、今回で2回目の開催となりました。


初回はプロローグとして、養生訓ができるまでの日本史に焦点をあて、日本人の健康観の変遷を学んでいただきました。


日本における養生研究は、平安時代の物部広泉に始まります。

末法の世となった鎌倉時代、南宋で臨済宗を学んだ栄西は、「喫茶養生記」を残しました。

臨済宗は源氏の庇護の下、禅と茶とともに武士の間に広まります。

「茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり。」とあります。

東洋医学の五味のひとつ、「苦(にがみ)」が五臓の「心」に良いことから、お茶の苦みが良いとされました。


公家から武士が政治を司るようになっても、民衆まで養生の意識がいきわたるのは、江戸中期(18世紀)まで時を重ねる必要がありました。

戦国時代、武士の道徳観は「身を鴻毛の軽きに比し、君のために身命を捨てる」というものでした。

戦乱が終焉を迎え、高度成長を終えた江戸の元禄時代、世の中はようやく安定成長となり、民衆にも養生思想が芽生えます。

「人身は至りて貴くおもくして、天下四海にもかえがたきものにあらずや」

戦国時代、鳥の羽毛よりも軽いとされた命が、地球よりも貴重なものとして考えられるようになりました。


1713年、貝原益軒は「養生訓」を記します。その時の年齢は85歳です。

黒田藩の下級武士の家に生まれた益軒は、不遇な少年期を経て、19歳で黒田家に仕官するも、すぐに免職します。

7年間の浪人生活中、江戸で医者になろうと苦労します。

この時の学識が認められ、黒田藩に27歳で再就職し、71歳で辞職をゆるされるまで、藩士兼学者を務めました。

儒学者であった益軒は、儒学はもちろん、医学、薬学にも精通し、地理や歴史にまで幅広い知識がありました。

そんな彼が記したのが、医学書ではなく、「養生訓」でした。


江戸時代までに、100冊以上の養生書があるそうですが、「養生訓」を超える養生書は見当たらないでしょう。

養生訓には、東洋医学の叡智がふんだんに盛り込まれていて、それでいて、安易な治療を禁じています。

健康管理の大切さを重視し、自然治癒力に重点を置いているところが注目すべきところです。


東洋医学は、古くから鍼灸治療として用いられてきましたが、養生の術として学ぶことをおすすめします。

養生訓には、多くの東洋医学関連の用語が出てくるので、すこし理解が難しいところもあります。

現代の日本人には古くて難解な医学となっている東洋医学のすばらしさを、ひとりでも多くの方に知っていただき、養生として日常生活に活用していただきたいことから、講義を決意しました。


第2回目の講義は、「気」をテーマとします。

人の生命現象を、気という物質で説明するのが東洋医学です。

紀元前の中国、諸子百家が活躍した時代に、「気」の思想が誕生します。

それらが「易学」と合わさることで、医学へと転用されるようになりました。


東洋医学の基本である「気」の思想を易学との関連から学んでいただきます。


東洋医学の気の思想に興味ある方、東洋医学をもっと深く学びたい方におすすめの講座です。







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