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「養生」について

9月3日
読了時間: 7分
大阪本町鍼灸 東洋医学の和鍼治療院
大阪本町鍼灸 東洋医学の和鍼治療院

―治療と養生の違いを考えるー

「これを食べれば養生になる」

「毎日これをすれば健康になる」

「○○養生法を実践しましょう」

世の中には、「養生」という言葉を付けた健康法がたくさんあります。

しかし、東洋医学を学び、実際に人の身体を診ている者としては、少し違和感を覚えることがあります。

そもそも養生とは、そんなに単純なものなのでしょうか。

私は、養生と治療は別物ではあるけれど、その根本にある考え方は非常によく似ていると考えています。


治療は「その人」を診る

鍼灸治療では、腰が痛いから腰に鍼をする、肩が凝っているから肩を揉む、というだけではありません。

なぜ、その人は腰が痛くなったのか。

食事なのか、睡眠なのか、仕事なのか、精神的な緊張なのか、冷えなのか、過労なのか。

さらに、その人の体質や季節との関係、気血の状態、臓腑の失調などを考えながら、今の身体がどういう状態にあるのかを診ていきます。

つまり治療とは、

「何をすれば健康になるか」ではなく、「この人に今、何が必要なのか」を考えること

なのです。

ところが、養生になると、途端に話が変わってしまうことがあります。

「この食べ物が身体に良い」

「この運動が健康に良い」

「毎朝これをすれば病気にならない」

しかし、それでは治療と同じように「その人」を見ていません。

例えば、同じ食べ物でも、ある人には助けになり、別の人には負担になることがあります。

同じ運動でも、身体を整える人がいれば、かえって疲労を蓄積させる人もいます。

だからこそ、養生にも弁証が必要なのです。


「養生」という言葉を付ければ養生になるわけではない

「○○養生」という言葉をよく目にします。

しかし、養生とは、本来「何かをすること」そのものではありません。

大切なのは、

その人が、なぜ今の状態になっているのか。

そして、

何を変えれば、身体が本来の状態へ戻りやすくなるのか。

ということです。

これは治療とまったく同じです。

治療では病の原因や経過を診て、必要なものを補い、不要なものを除き、身体のバランスを整えていきます。

養生も同じです。

ただし、治療が「すでに現れている病」に対して行われるのに対して、養生は、まだ大きな病として現れていない段階から、身体の乱れを整えていく。

この違いがあります。


「治未病」という考え方

東洋医学には、「未病」という重要な考え方があります。

『黄帝内経・素問』には、

「是故聖人不治已病、治未病」

――聖人はすでに発病した病を治そうとするだけではなく、まだ病になっていない段階を治める、とあります。

さらに、

「夫病已成而後薬之、譬猶渇而穿井」

病気がすでに出来上がってから薬を用いるのは、喉が渇いてから井戸を掘るようなものだ、と説きます。

ここには、東洋医学の重要な発想があります。

病気になってから治すだけが医学ではない。

病気になる前に、身体の変化を察知する。

そして、病気を生み出す方向へ身体が進んでいるなら、その流れを変える。

これが「治未病」です。

唐代の医家・孫思邈は、さらにこれを、

「上医医未病之病、中医医欲病之病、下医医已病之病」

と表現しました。

まだ病気になっていない段階、病気になりかけている段階、すでに病気になった段階。

医療には、それぞれの段階があるということです。


そこから「養生」が生まれてくる

ここが、養生を考えるうえで非常に重要なところです。

病気になってから治療する。

しかし、病気になってからでは治りにくいこともある。

ならば、病気になる前に身体を整えておけばよい。

さらに考えていけば、

「なぜ、この人は病気になったのか?」

という問いに行き着きます。

そして、

「その病気を生じさせた生活があるのなら、その生活を変えなければ、また同じ病気になるのではないか」

というところまで考えが進みます。

ここに養生があります。

つまり養生とは、単なる健康法ではありません。

病を生み出した原因を知り、その原因を繰り返さないための生活をつくること。

そう考えると、養生は非常に医学的なものになります。


再発を防ぐことも養生である

治療家なら、このことはよく分かるはずです。

腰痛を治した。

しかし、以前と同じ生活を続けていれば、また腰が痛くなる。

胃の不調を治した。

しかし、毎晩遅くまで食べ、早食いを続けていれば、再び胃に負担がかかる。

肩こりが楽になった。

しかし、仕事中ずっと身体を緊張させていれば、また肩は凝ってくる。

だから治療では、症状だけを見るのではなく、

「なぜこの病が起こったのか」

を考えなければなりません。

そして、その原因が生活の中にあるなら、その生活を見直してもらう。

それが再発を防ぐ養生になります。

養生とは、治療の代わりに行うものではありません。

むしろ、治療によって身体が整った状態を、その人自身の生活によって維持していくものなのです。


「何をすれば健康になるか」より、「何をやめるべきか」

養生というと、何かを始めることばかり考えがちです。

新しい健康食品を食べる。

新しい運動を始める。

新しい健康法を取り入れる。

しかし、場合によっては、何かを足すよりも、何かをやめる方が養生になります。

食べ過ぎているなら、食べる量を減らす。

睡眠不足なら、早く寝る。

働き過ぎているなら、休む。

身体を冷やしているなら、冷やす生活を改める。

感情を溜め込んでいるなら、その状態を見直す。

つまり養生とは、

「健康になるために何かをすること」ではなく、「病気になる方向へ自分を動かしているものを見つけ、それを正すこと」でもあるのです。


だから、養生にも「その人」が必要になる

私は、養生を一律の健康法として語ることには慎重でありたいと思っています。

人間の身体は、一人ひとり違います。

年齢も違う。

体質も違う。

仕事も違う。

生活環境も違う。

季節による影響も違う。

そして、同じ人であっても、春と冬では身体の状態が違います。

だから、

「これさえ食べればいい」

「これさえやればいい」

という養生は、本来の東洋医学からは少し離れてしまうのではないでしょうか。

養生にも診断が必要なのです。

そして、本当の養生とは、誰かから与えられた健康法を盲目的に実践することではなく、自分自身の身体を観察し、自分の生活と身体との関係を知ることから始まります。


養生を語るなら、まず「病」を知らなければならない

少し厳しい言い方になりますが、私は、

病を診ることのできない人が、養生だけを語ることには限界がある

と思っています。

なぜなら、養生とは本来、病を生じさせる過程を知ったところから生まれてくるものだからです。

病を知らなければ、

「何をすれば健康になるのか」

しか語れません。

しかし、病を知っていれば、

「なぜ病気になったのか」

「どこから身体が崩れ始めたのか」

「何を変えれば再び同じ方向へ進まなくて済むのか」

を考えることができます。

私は、こちらの方が養生の本質に近いと思っています。

養生とは、健康法の名前ではありません。

人が自分の身体と生活を見つめ、病へ向かう流れを少しずつ変えていくこと。

そして、そのためには時として、

「何をするか」ではなく、

「何をやめるか」

を考える必要があります。

治療も養生も、結局は同じところを見ています。

それは、

「この人の身体が、本来の状態へ戻っていくには何が必要なのか」

ということです。

治療家が病を診る。

そして、その病を生じさせた生活を患者自身が見直す。

その二つがつながったとき、治療は養生へと続いていくのではないでしょうか。

だから私は、養生を「○○をすれば健康になる」という簡単な言葉では語りたくありません。

養生とは、自分の身体を知ること。そして、自分の身体を病へ向かわせている暮らしを知ること。

その気づきこそが、最も身近な養生なのだと思います。

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