冬至 一年の始まり
- 6 日前
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かつて一年は、この日から始まっていた
2025年12月22日 冬至
2025年の冬至は 12月22日 です。現在の私たちは、冬至を「一年で最も昼が短い日」「寒さの底」として捉えています。しかし古代において冬至は、単なる季節の一節ではなく、一年の始まりを告げる日として、極めて重要な意味を持っていました。
なぜ冬至が「始まり」だったのか。そして、なぜ現代ではそうではなくなったのか。その背景には、自然観・宇宙観の変化、さらに暦と政治の関係性が深く関わっています。
陰極まりて陽生ず――冬至が元旦であった理由
東洋の古代思想では、世界は「陰」と「陽」の循環によって成り立つと考えられてきました。春夏にかけて陽は伸び、秋冬にかけて陰が深まる。そして冬至は、陰が極まり、ここから初めて陽が生まれる瞬間とされます。
この思想を端的に表す言葉が「一陽来復(いちようらいふく)」です。目に見える世界は最も衰えていますが、その内側ではすでに生成の力が動き始めている。この“見えない始まり”こそが、冬至の本質でした。
古代中国では、この自然の循環を暦の根幹に据え、冬至を含む月(子月)を一年の起点とする思想が成立します。実際、周代の暦法や陰陽思想の体系では、冬至をもって年が改まるという考え方が正統とされていました。
中国と日本――新年の思想は何が違ったのか
冬至を起点とする思想は、中国と日本で共通して受け継がれましたが、**「新年をどこに置くか」**という点では、両者は次第に異なる道を歩みます。その違いを理解することが、冬至の位置づけをより明確にしてくれます。
中国:新年は「動き始める日」
中国において新年(正月)は、現在も旧暦の正月、すなわち春節です。これは単なる慣習ではなく、明確な思想的背景を持っています。
中国思想では、冬至は「陽が生まれる日」ではありますが、その陽はまだ地中にあり、外には現れていません。つまり冬至は内なる始まりにすぎず、社会や人の営みを本格的に動かす段階ではないと考えられました。
そこで重視されたのが、立春前後、万物が実際に動き始める時期です。農耕国家であった中国にとって、新年とは「耕し、播き、動き出す合図」でなければなりません。その象徴が春節であり、行動の開始点としての新年なのです。
このため中国では、
冬至=陰陽転換の根
春節=社会と生活のスタート
という二層構造の時間観が成立しました。
後編とつづく




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