top of page

冬至 一陽来復

  • 3 日前
  • 読了時間: 3分


大阪本町東洋医学 和鍼治療院
大阪本町東洋医学 和鍼治療院

日本:新年は「区切りの日」

一方、日本では中国暦を受け入れながらも、新年に対する感覚は次第に異なっていきます。日本の新年は、農耕の始動日というよりも、穢れを祓い、年を改める区切りの日としての意味合いが強くなりました。

神道的な世界観では、循環する時間の中で「清め直す」ことが重視されます。年の終わりには大祓を行い、正月には新しい年神を迎える。この構造の中で、新年は自然の変化点というより、儀礼的な更新点として定着していきました。

その結果、日本では、

  • 冬至=自然の深い節目(背景)

  • 正月=人の社会を切り替える節目(前景)

という役割分担が生まれます。

冬至が語る、二つの新年観

中国は「自然が動き始める時」を新年とし、日本は「人が心身を改める時」を新年としました。

この違いは優劣ではなく、自然と人間のどこに重心を置くかの違いです。しかし、両者に共通しているのは、冬至を無視していないという点です。

中国では冬至を内なる起点とし、日本では冬至を年の最深部として捉え、そこから清めと再生へ向かう。この違いを理解すると、冬至は単なる行事ではなく、東アジア共通の時間思想の要であることが見えてきます。


日本における冬至の位置づけ

日本もまた、中国の暦法を受け入れながら独自の変化を遂げました。律令制のもとで暦が整備されると、年の区切りは次第に正月行事へと集約され、冬至は背景へと退いていきます。

しかし、冬至が完全に失われたわけではありません。陰陽道では冬至を重要な転換点と捉え、民間ではゆず湯や冬至祭といった形で、身体と季節を整える節目として生き続けてきました。

東洋医学から見た冬至――始まりは身体の内側にある

東洋医学では、冬は「腎」を養う季節です。腎は生命力の根であり、成長・生殖・老化を司る基盤となる臓腑です。冬至は、その腎の力が最も深く内に収まる時期とされます。

古代の人々が冬至を一年の始まりと考えたのは、暦の都合ではありません。身体の感覚として、ここから次の生命活動が始まることを、経験的に知っていたからです。

エネルギーを使い始めるのは春節以降。しかし、エネルギーを蓄え直す始点は冬至にあります。この視点を失うと、現代人は「始まり続けて、回復しない」状態に陥りやすくなります。

現代に生きる私たちにとっての冬至

2025年12月22日の冬至は、暦の上では年末の一日です。しかし身体と自然のリズムにおいては、すでに次の一年が静かに始まっている日でもあります。

無理に動かず、消耗を止め、内側を整える。その姿勢こそが、春に自然と動き出すための最良の準備となります。

おわりに

冬至は、忘れられた「始まりの日」です。中国では春節として、外に現れる始まりを祝いますが、その前段階としての冬至を知ることで、暦と身体の理解は格段に深まります。

2025年の冬至、12月22日。 見えない陽が生まれるその瞬間を、静かに養うこと。それが、古代から続く最も理にかなった養生なのです。

コメント


  • Facebook

Copyright Washin Oriental Medical Office. All Rights Reserved

bottom of page