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雛祭り

  • 3月2日
  • 読了時間: 3分

大阪本町鍼灸 東洋医学の和鍼治療院
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上巳の節句――祓いの日から「ひな祭り」へ

三月三日。「桃の節句」として親しまれるこの日は、本来「上巳(じょうし)の節句」と呼ばれてきました。五節句のひとつに数えられる伝統行事であり、古来、日本人が大切にしてきた“祓い”の思想が色濃く残る日です。

節句とは、季節の変わり目にあたる節目の日を指します。古代中国では奇数が重なる日を陽の数として重んじ、邪気が生じやすい日とも考えました。そのため三月三日、五月五日、七月七日などは、禊(みそぎ)や祓いを行う日とされました。この思想が日本に伝わり、宮中行事として整えられ、やがて民間へと広がっていきます。

三月最初の巳の日に水辺で身を清める風習は「上巳」と呼ばれ、平安時代の貴族たちは曲水の宴を催し、盃を流しながら詩歌を詠みました。そこには単なる遊興ではなく、春の訪れとともに芽吹く生命を祝いながら、冬の間に溜まった穢れを水に流すという深い祈りが込められていました。

この祓いの思想が、日本独自の形へと展開したものが「流し雛」です。紙や草で作った人形(ひとがた)に自らの穢れや災厄を移し、川へ流す。これは単なる迷信ではなく、「穢れは外に出す」「形に託して祓う」という象徴的な行為でした。目に見えぬ災いを可視化し、自然へ還すという行為に、日本人の自然観と生命観が表れています。

やがて時代が下り、江戸時代になると人形制作の技術が向上し、流すものから“飾る”ものへと変化していきます。ここに現在の「ひな祭り」の原型が生まれました。内裏雛を中心とした段飾りは、単なる華やかな装飾ではありません。宮中の婚礼や調度を模し、少女の健やかな成長と良縁、そして家の繁栄を願う象徴体系です。

特に桃の花が添えられるのは、桃が古来より邪気を祓う霊木とされたからです。『古事記』においても、黄泉の国から戻る際に桃が用いられています。桃は単なる春の花ではなく、生命を守る力の象徴でした。

では、なぜ日本人はこれほどまでに三月三日を大切にしてきたのでしょうか。

春は芽吹きの季節であると同時に、気が大きく動く時期でもあります。寒から暖へ、陰から陽へと転じる転換点は、生命にとって喜びである一方、不安定さも伴います。古人はそれを経験的に知っていました。だからこそ、水で祓い、人形に託し、花を飾り、宴を催したのです。行事とは、自然の大きなうねりに対して、人が調和を図る知恵でした。

上巳の節句は、単なる女児の祭りではありません。穢れを祓い、心身を整え、新たな季節を迎えるための“再生の儀式”です。そこには「人は自然の一部である」という認識が通底しています。

現代は形だけが残り、意味が忘れられがちです。しかし本来、節句とは自らを省みる日でした。冬の間に溜まった疲労や感情、滞りを手放し、新しい春を迎える。その意識こそが、ひな人形の背後にある本質です。

流す文化から、飾る文化へ――

その変化の中にも、「祓い」「願い」「再生」という一貫した思想が息づいています。

三月三日。ひな人形を前にしたとき、私たちは何を願うのでしょうか。単なる行事としてではなく、先人の祈りに思いを馳せる日とするならば、上巳の節句は現代にもなお、深い意味を持ち続けているのです。

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