十二消息卦「否」

遯から否、そして観へ――白露の養生
白露を迎えました。
二十四節気では、夏の暑さが次第に衰え、朝夕の空気に秋らしさが感じられる頃です。今年はまだ残暑が厳しいものの、夜明けの空気や草木に宿る露を見ると、季節が確実に動いていることに気づかされます。
今回は、前回の「遯(とん)」に続いて、十二消息卦の「否(ひ)」について考えてみたいと思います。
「遯」は、陽が退き始める卦でした。
夏至を境に陽の勢いは少しずつ衰え、陰が一爻ずつ増えていきます。遯では、まだ陽の力が十分に残っています。しかし、その陽は次第に上へ退いていく。
そして、その先に現れるのが「否」です。
遯から否へ
十二消息卦では、陰陽の消長を一つの流れとして見ることができます。
陽が盛んになっていく時期には、
復 → 臨 → 泰 → 大壮 → 夬 → 乾
と陽が増えていきます。
そして夏至を頂点として、今度は反対に、
姤 → 遯 → 否 → 観 → 剝 → 坤
と、陰が一爻ずつ増えていきます。
つまり「遯」は終点ではありません。
遯からさらに陰が増えることで、次に「否」が現れます。
遯とは「退く」。
否とは「塞がる」「通じない」。
この二つを続けて見ると、季節の変化が非常によく見えてきます。
盛夏には、外へ向かって盛んに活動していた生命が、秋に入るにつれて少しずつ内へ向かいます。
これまでと同じように動こうとしても、身体がついてこない。
夏と同じ生活を続けているのに、なぜか疲れが抜けない。
食欲や睡眠、排便、気分などにも、微妙な変化が現れてくる。
それは、身体が弱くなったというだけではありません。
季節そのものが変化しているからです。
「否」という卦
「否」は、上卦が乾、下卦が坤。
つまり、
上=乾(天)下=坤(地)
です。
乾は天、坤は地。
天は上へ、地は下へ。
天地がそれぞれの方向へ離れていくため、「天地否」と呼ばれます。
本来、天と地が交わることで万物は生じます。
ところが否では、天と地が交わらない。
そのため「否」は、単に「悪い」という意味ではなく、
天地の気が通じなくなる状態
と考えることができます。
これは身体を考えるうえでも、とても興味深い卦です。
気・血・水が巡らず、上下が通じず、内外の交流がうまくいかなくなる。
食べたものが身体を養うことも、呼吸によって外界と内界が交流することも、眠って回復することも、本来はすべて「通じる」ことで成り立っています。
生命とは、閉じたものではありません。
外界との交流があり、身体の中でも臓腑や経絡が互いにつながり、絶えず変化しながら生命を維持しています。
だからこそ、否という卦は「病気そのもの」というより、
生命の循環が滞り始めることへの注意
として読むことができます。
否は「陰陽が半分になる」
否の卦を見ると、上三爻がすべて陽、下三爻がすべて陰です。
つまり、
陽三爻・陰三爻。
陰と陽がちょうど半分ずつになっています。
この卦の形は、秋分という季節を考えると、とても印象的です。
秋分は、昼と夜の長さがほぼ等しくなる時期。
もちろん、暦の上で「否=秋分」ということではありません。
十二消息卦の月配当では、否は七月の卦であり、二十四節気でいえば立秋から処暑、あるいは白露へ向かう時期に置かれます。
しかし、卦そのものが示す「陰陽が拮抗する姿」を見ると、秋分に向かって陰と陽が均衡していく自然の姿と重なって見えてきます。
今年の白露は、まさにその移行の時期です。
暦の上では、白露を境に「否」から次の「観」へと進んでいきます。
だから白露は、
否から観へ移っていく境目
として見ることができます。
否から観へ
では、「否」の次に来る「観」とは何でしょうか。
否では、天地が通じません。
そしてさらに陰が一爻増えると、「観」になります。
「観」は、見るという意味を持っています。
ここには、とても大きな意味があるように思います。
夏の盛りには、外へ向かって動くことが中心でした。
しかし秋になると、生命は次第に内へ向かいます。
動き続けるのではなく、立ち止まって自分自身を見る。
自然を見る。
身体を見る。
季節を見る。
そして、これまでの生活を振り返る。
「観」という字には、ただ眺めるだけではなく、物事をよく見るという意味があります。
だから「否」から「観」への移行は、
動くことから、見ることへ。
外へ向かうことから、内を観ることへ。
という養生の転換点として読むこともできます。
白露の養生
白露の頃に気をつけたいのは、「夏の生活をいつまでも続けないこと」です。
暑さが残っているからといって、冷たい飲み物や食べ物を過剰に摂り続けたり、夜遅くまで活動したり、汗をかくほど身体を動かしたりすることは、季節の変化との間にずれを生じさせます。
東洋医学では、秋は「燥」と関係する季節です。
特に肺は乾燥を嫌います。
喉や鼻、皮膚などの乾燥を感じ始めたら、身体が秋の環境に適応しようとしているサインかもしれません。
一方で、今年のように雨が多く湿度の高い日が続く場合には、単純に「秋だから乾燥」と決めつけることもできません。
養生で大切なのは、暦だけを見るのではなく、
その日の天候と、自分の身体を一緒に観ること。
これこそ「観」の養生ではないでしょうか。
秋は「足す」より「整える」
秋になると、「夏の疲れを取るために何かを補わなければ」と考える人も少なくありません。
しかし、養生は何かを足せばよいというものではありません。
食べ過ぎれば胃腸に負担をかけます。
眠りが足りないからといって、休日に寝すぎれば生活リズムが崩れることもあります。
疲れているからと、さらに健康法を増やしてしまえば、かえって身体を休ませる時間がなくなってしまいます。
否の卦が教えてくれるのは、
「通じているかを見る」
ということではないでしょうか。
食事は身体に適しているか。
排便は滞っていないか。
睡眠は自然に取れているか。
呼吸は浅くなっていないか。
身体の上下、内外がうまくつながっているか。
何かを加える前に、まず現在の状態を観る。
それが秋の養生には大切です。
「否」は悪い卦ではない
否という文字を見ると、どうしても「否定」「悪い状態」という印象を持ってしまいます。
しかし、十二消息卦として見れば、否もまた自然な循環の一場面です。
陽が極まれば陰が生じる。
陰が極まれば陽が戻る。
遯も、否も、観も、剝も、その循環の中にあります。
だから「否」を恐れる必要はありません。
むしろ、
今、天地の気がどのように動いているのか。自分の身体は、その変化についていけているのか。
それを観るための卦として捉えることができます。
遯では「退くこと」を知る。
否では「通じなくなること」に気づく。
そして観では「よく観る」。
この流れは、そのまま秋の養生にもつながります。
夏の勢いを少しずつ手放し、無理に動かず、身体の変化を観察する。
白露とは、まさにその切り替わりを感じる季節なのかもしれません。
季節は、私たちを待ってはくれません。
だからこそ、身体を季節に合わせるのではなく、
季節の変化を観ながら、自分の身体の変化を観る。
その小さな「観」が、秋から冬へ向かう身体を守る養生になるのではないでしょうか。




コメント