温故知新

 

もっとも古くて、もっとも新しい

 

そんな医学の実践が和鍼治療院の使命です

 

東洋医学の歴史

東洋医学はいつごろ形成されたのか

 

中国には古くから文字が使われていて、殷代(紀元前17世紀~11世紀)の甲骨文字の中に、「殷人の病、およそ頭、眼、耳、口、牙、舌、喉、鼻、腹、足、趾、尿、産、婦、小児、伝染など16種存在する」とあり、近代の疾病分類の雛型をこの時代にすでに見ることができます。

春秋戦国時代(紀元前770~221)には「五十二病方」が成立し、その書物が示すとおり52の疾病に加えて、総計103にもおよぶ病について言及されています。

このことから、古代中国において、すでに治療経験の蓄積が豊富にあり、医学理論の整理・体系化の基礎ができていたということがわかります。

このように、西洋と比べると、この時代の東洋は医学が非常に進んでいたことになります。

 

そしてこの時代、医療分野以外の分野においても高度な発展を遂げたものがあります。

それが天文学・暦学・気象・農学・数学などの自然科学分野であります。

中国医学はこれらの別分野の学問の知識を取り込むことによって、中国医学の科学的な枠組みを作りあげていきます。

さらに、中国医学は古代哲学の影響を色濃く受けることになります。

気一元論・陰陽学説・五行学説などの哲学を取り入れたことで、それまでは断片的な経験や感性にたよる程度にとどまっていた医療が、さまざまな現象を帰納整理しながら、とうとう一大医学理論体系へと発展を遂げることになります。

 

それは、前漢(紀元前200年から8)の時代、中国最古の医学書である「黄帝内経」の登場であります。この書物は、現在においても東洋医学の原理であり、東洋医学にたずさわるすべての人々の経典(バイブル)であります。

「黄帝内経」は、古代中国漢文で書かれた経典で、「素問」と「霊枢」の二つから構成されています。

養生法や中国医学の原理を述べている「素問」と、鍼灸の経典である「霊枢」に分かれています。

この経典の文章構成、記述の形式や表現方法において、篇毎に大きな相異があることがわかっています。

このことから、一人の作者によって、一時期に書き上げられたものではなく、いくつかの時代にわたって、幾人かの医家によって練り上げられたことがわかります。

当時の医家たちが、当時最新の知識をもって、一大医学理論体系を作り上げようとした情熱が時代を超えて伝わってきます。

さらに、この経典は成立こそ前漢の時代でありますが、戦国時代以前の中国古代の医療に関する経験、知識、理論が含まれていることはもちろんのこと、秦・漢代における医療面の発展と成果、さらには隋・唐代から宋代にかけての、医家によるさらなる再編・校注・補充などの内容も包括されています。

このことから、東洋医学が昔の古い医学を単に継承しているということではなく、常に「温故知新」を繰り返し、進化し続けて現在にまで受け継がれていることがわかっていただけると思います。

 

東洋医学の経典である「黄帝内経」が、1000年以上にわたる豊富な治療経験の蓄積を内包している臨床医学であることは重要であります。

古代中国においても、呪術的な医療が主流であった時代がありましたが、それと袂を分かつために、長い年月をかけて何世代にもわたって、医家たちが治療法を見出して、学術レベルの高い医療へと進化させていったことがわかります。

東洋医学は神秘的な医療ではなく、きちんとした理論体系をもつ医学であることを知っていただきと思います。

「黄帝内経」が優れた経典である理由は、優れた医学書であると同時に、優れた自然科学書でもあり、優れた哲学書でもあるからです。

 

優れた自然科学書である」理由は、私たち人類が自然とともに生きている存在であることをきちんと認識しているからです。人体という一個の有機体が、それを取り巻く外界の変化に適応できなくなったとき、病気が発生するという見方です。

病も自然界と同じで、ひとところに同じ状態で留まるのではなく、変化するものであるという見方があります。

その変化をとらえるために用いたのが、気一元論・陰陽学説・五行学説であります。

農業とともに豊かになった人類にとって、大自然の法則を明らかにすることは非常に重要なことでありました。

大気圏の外の世界にロケットを飛ばして宇宙の誕生をしらべたり、顕微鏡を用いて目で見えない世界を探求したりする術は、古代中国にはありませんでした。

しかし、自然を観察することによって、自然界の森羅万象を目に見える形で表現することに成功しました。

その理論は森羅万象を探求した結果得られたものだけに、医療のみならず、天文学・暦学・気象・農学・数学・兵法・政治などあらゆる分野に用いられました。

そしてそれは、現代に生きる私たち日本人の文化や生活、あらゆるところに浸透している叡智でもあります。

「灯台下暗し」とことわざにありますが、東洋医学を学んだことで、私はこの叡智を知ることができたのです。

 

優れた哲学書である理由」は、春秋戦国時代に、儒家・道家・墨家など諸子百家が現れて、「これは正しいとか、これは間違っている」と論理的に証明し、「人のありよう」を説くようになります。

「生」と「死」は、生きていく上でとても重要であり、現代においても平均寿命にこだわるところや人生哲学などに現れています。

生きていく上での心の葛藤、さまざまな感情に支配される精神と肉体を、当時の医家たちは諸子百家から学び、医学の世界へと導入しています。

心身一如」という思想が中国医学には貫かれているのです。