学童防波堤論 (インフルエンザ)
インフルエンザワクチンの学校での集団接種は、1962年から始まりました。 この時、集団接種に舵をきらせることになったのが、「学童防波堤論」の採用です。 その内容は、「インフルエンザの流行は免疫のないこどもから始まり、集団生活を送る学校において一人の感染者でも出れば、瞬く間に子供たちに拡散し、さらに学校以外の地域へと広がって大流行するというもの」でした。 その後、30年以上も学校での集団接種が続くことになります。 やがてこの予防接種に対して、疑問の声が上がるようになりました。 その一つが、インフルエンザワクチンの副作用によって、亡くなる子供、障害を背負う子供が出ていることが判明したからです。 1973年から、副作用被害者の訴訟が始まり、判決で国の過失が認められるのは、20年後の1992年までかかりました。 もう一つは、予防接種を受けていてもインフルエンザにかかる子供が多いことや、集団接種の目的であったインフルエンザの流行に抑制効果がなく、幾度となく流行は繰り返されたのでした。 そして1980年、名古屋市の養護教員による大規模な調査結果が発表されることになり、その内容は、「名古屋市の児童・生徒一万四千人を対象としたインフルエンザワクチンの効果は、接種してもしなくても罹患率は変わらない」というものでした。 さらに同年、アメリカの疫病予防センターの調査団が来日し、予防接種の効果を調べました。 その結論は、「学童への集団接種がインフルエンザ予防に有効である証拠は見つからない」というものでした。 これらにより、「学童防波堤論」は完全に否定されたのです。 この調査結果を受けて、ウイルス学の専門家たちがウイルス学会の会長にシンポジウムの開催を申し入れました。 これにより、「インフルエンザに関するラウンドテーブル・ディスカッション」が1981年に開催されます。 このシンポジウムの冒頭で、当時のウイルス学会会長であった石田名香雄氏が、 「この会場に来ているウイルス学者の中で、インフルエンザワクチンが効いていると思っている奴はいないだろう」と言い放ったそうです。 ウイルスの専門家がこのように言い放つには、それなりの根拠がありました。 その最大の根拠とは、流行するインフルエンザウイルスのタイプが毎年異なることと、ウイルスのタイプが判明してから作り始めても、接種する頃には変異してしまうことです。 つまり、当たりくじのない宝くじの当たりを引き当てようと、無駄な努力をしているに過ぎないのです。 しかも恐ろしいことに、副作用という取り返しのきかない「負の当たり」だけは残されることになるのです。